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【極秘口伝】武内宿禰(たけうちのすくね)には信じられない『秘密』があった…

はいどうも!TOLAND BLOGのお時間です!
今回は!300年以上生きたと言われ、古代日本を支えた伝説の人物「武内宿禰」とその正体について、お話していきます!

武内宿禰の一円札


ということで今回は武内宿禰のお話です。

武内宿禰といえば戦前には1円紙幣にもなってるような人物で、5代に渡って天皇・皇后に仕え、360歳くらいまで国家に忠誠を尽くした伝説の人物なんですよ!
武内宿禰は長く生きてる分エピソードも盛り沢山なんです。

  • 謎だらけの武内宿禰は一体どのような人物だったのか?
  • 300歳以上生きたとされる武内宿禰の正体

この2点について!わかりやすくお話していきます!

尚、このお話はYouTubeでもご覧いただけます↓

【極秘口伝】武内宿禰には信じられない『秘密』があった…

武内宿禰の本名は?何て読むの?

『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」、他文献では「建内足尼」という漢字が使われ「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」という意味です。
読み方は「たけうちのすくね」「たけうのうちのすくね」「たけしうちのすくね」などと呼ばれたりします。

日本書紀古事記他文献
武内宿禰建内宿禰建内足尼

武内宿禰は何歳まで生きた?年齢、生まれ年

武内宿禰は景行天皇14年に生まれ、様々な説があるのですが、一説としては312歳まで生きたとされています。

武内宿禰は何をした?どんな人?

古事記による、と武内宿禰は第8代孝元天皇の孫であり、第12代景行天皇、第13代成務天皇、第14代仲哀天皇、第15代応神天皇、第16代仁徳天皇の5代にわたって天皇に仕え続けた伝説の忠臣なんです。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父、第12代景行天皇の時代には、まだ未開拓だった東の地域をゴリゴリに歩き回り、地形を調べたり、そこに住むヤバそうな奴()を見つけたら天皇に報告するという仕事をしていました。

景行天皇は息子のヤマトタケルを恐れていたので、国内の未開拓で危険そうな場所にはヤマトタケルを派遣し、ヤマトタケルはボロボロになりながら頑張りました。

武内宿禰は天皇に対する忠誠心がとにかく高く、みんながベロベロになるような宴の席にも参加せず何かあった時のために備えていました。

武内宿禰は日本初の大臣!?

それを見た第13代成務天皇は武内宿禰「大臣」という役職に就けました。
そう、日本初の大臣は武内宿禰なんです!

さらに第14代仲哀天皇の時代には国の流れを決める超重要な儀式にも参加しているんですよ!
神功皇后に神が乗り移ると天皇が琴を弾き、神の言葉を武内宿禰が聞くというすんごい共同作業をしてたんです!

vs 新羅

この儀式の中で神が乗り移った神功皇后は、


「朝鮮半島の新羅をそなたに授ける!我が力を貸すから戦いに行くのだ!西に向かえーー!」と言うも仲哀天皇は「西は海でっせ!わしが攻めたいのは九州の方!海を超えて戦えってことですか??え?これほんまに神の言葉でっか?」と疑ったせいで、神の怒りを買い仲哀天皇は崩御。

翌年に再び神託をするのですが、その時は武内宿禰が琴を弾くポジション。
この前新羅を攻めろーゆうてた神様は誰やったんやろ?と尋ねると、天照大神と事代主神、住吉三神というそうそうたる顔ぶれの神々だった!
これは私が行かなあかん!と神功皇后は決意し、男装。身籠った状態で新羅に乗り込み、勝利する!

そこからドゥワー!っとね、渡来人が日本に押し寄せてくるわけですよ!!
その渡来人達を率いたのがこれまた武内宿禰!!!
このおじいちゃんどんだけ頑張んの!?って感じですが、もうこの時点で200歳は余裕で超えてますからね!!
日本に次々とやって来る渡来人をまとめるって相当馬力いる仕事よコレ!
そんな感じでいつまで経っても現役バリバリの武内宿禰なのですが、ここで突然!弟が現れるんですよ!

武内宿禰の弟「甘美内宿禰(うましうちのすくね)」

このウマシウチノスクネが第15代応神天皇に対して「うちの兄貴、武内宿禰は天下取ろうと企んでまっせ!」と進言。
天皇はブチギレて武内宿禰を殺そうとするも、武内宿禰は無罪を主張!この時、武内宿禰のソックリさんである真根子が殺されてしまう。
その後武内宿禰は朝廷に訴え出て、弟ウマシウチと対峙!

決闘するのかと思いきや!武内宿禰と弟ウマシウチは窯で沸かしたお湯の中に手を突っ込みます!!ザブーン!

これは、盟神探湯(くかたち)と言われる誓(うけい)の一種で、正しくない方は大火傷し、正しい方は火傷しないとされる。
この誓(うけい)に武内宿禰大勝利!ウマシウチを斬ろうとするが、思いとどまって彼を許しました!武内宿禰、器がすごい!!

国民を第一優先に考える仁徳天皇

そして、16代仁徳天皇の時代!国民が貧しいみたいやから、しばらくの間納税は無しにする!労働も無し!
って言って数年間ボロボロの屋敷に住んだと言われている仁徳天皇ですよ!

この仁徳天皇の時代にもまだ!武内宿禰は家臣として仕えてました!!

その後の武内宿禰の記録は記紀には記されていないのですが、因幡国風土記(いなばのくにふどき)によると360歳くらいの時にとある山に入ってそのまま行方が分からなくなってしまったと記されています。

天皇の家臣である期間を単純計算すると200年は余裕で超えてて、どの時代においてもおじいちゃん。
忠誠心が高くて義理人情も厚い。
そして仕事もバリバリ出来るスーパーお爺ちゃん、それが武内宿禰というわけです!
そんなね、360歳くらいまで生きた武内宿禰は本当に存在したのでしょうか?

本当に武内宿禰は存在したのか?真根子の存在

ゆうてね、武内宿禰には蘇我氏や葛城氏、平群氏などの有名豪族となった子孫が沢山いてるわけですよ!
なので一般的にはね、モデルとなった人物はいたはずやろうけどさすがに伝説上の人物やろうと考えられているわけですよ。まぁ、そらそうですよね。

しかしですね、そんな武内宿禰が実在していたとすれば、どうでしょうか??
よく考えてくださいね!
第15代応神天皇の時代、武内宿禰は弟のウマシウチノスクネにあることないこと言われて殺されそうになってましたよね?
この時に殺された人覚えてますか?武内宿禰のソックリさん「真根子」でしたよね?
たまたま武内宿禰のソックリさんがいて間違えて殺されたのでしょうか?いや、そんな訳ないですよね!

まず名前が「真根子」ですよ!似てる子ではなく、真似をしてる子。
つまり、意図的に武内宿禰の真似をしてる人物やん!てことです!

その真根子が影武者としての役割だったのか何だったのかは分かりませんが、とにかく!記紀には武内宿禰のソックリさん、真根子の存在がハッキリと記されている!
なんか、武内宿禰の異様に長い寿命にも説明がつきそうでゾッとしませんか?
もし、この武内宿禰のソックリさんが時代を超えて存在し、どこかのタイミングで入れ替わり続けていたとすればどうでしょうか?

武内宿禰は何年でも存在し続けることが出来ますよね?
さらに!入れ替わり続ける武内宿禰が記憶や歴史さえも共有し、人格さえも受け継いでいたとすれば??
いや、そんな漫画みたいな話…って思うかもしれませんが、、、
もし!!そんなことが出来れば武内宿禰という人物は何百年、何千年でも存在し続けることが出来ますよね?

そして!この武内宿禰が今もなお、受け継がれ続けているとすれば、、あなたは信じますか?

第七十三世「武内宿禰」こと竹内睦秦(たけうちむつひろ)さん

何とですね!現代の日本に「武内宿禰は役職であり、受け継がれ続けてきたものだ!」と主張し、七十三世「武内宿禰」を名乗るとんでもない人物が現れたんですよ!

その人物こそが第73世武内宿禰、またの名を竹内睦秦(たけうちむつひろ)さん!
彼の主張によると、武内宿禰という存在は世襲制であり、兄弟や父子の間で受け継がれてきた称号であるとのこと。

竹内一族の中から一人が選ばれ、歴代の武内宿禰の記憶や秘密を全て伝えていく。神道や歴史だけでなく、人間関係や恋愛を含めた全ての情報を入れていく。

そうして、武内宿禰という存在が受け継がれていくということなのです!歴代の武内宿禰の肉体というのは記録媒体であり、時間を超越して永遠を生きる存在!

彼ら竹内宿禰は、大化の改新で蘇我氏の屋敷ごと燃やされたとされる歴史書「帝王日嗣ていおうひつぎ」を口伝で受け継いでおり、南朝天皇家の子孫の口伝も受け継いでいるといってるんですよ!
そして、この二つが合わさったものが「正統竹内文書」だと竹内睦秦さんは主張しているわけですよ!!
突然世に現れた七三世竹内宿禰は、何故このようなとんでもないことを話し始めたのでしょうか??

それには以前お話した茨城系「竹内文書」の存在が非常に深く関わっているのです。

「正統竹内文書」公開までの経緯

戦前に竹内キヨマロによって公開された茨城系竹内文書はその壮大なスケールで一万人以上の信奉者を集めるものの、不敬罪や詐欺罪により逮捕され、竹内文書は何の根拠もない偽書と認定されました。
そして、それによって竹内家全体の名に傷がついたわけですよ!そして竹内睦秦さんも怒りました!
茨城の竹内家は直系ではなく、正式な口伝は受け継いでいないと!

彼らは竹内家の直会(なおらい)には参加できない家柄なので、断片的な情報を漏れ聞いてただけやと!これを正式な情報と思われたら困る!ということで!
茨城系竹内文書の誤りを正すために竹内睦秦さんは「正統竹内文書」の一部を公開することを決意した!ということなんです!

竹内睦秦さんの死因は?

しかし、竹内一族には武内宿禰以外にも長老や参議などといった役職が存在しているらしく、基本的にはこの人たちが決定権をもっているそうです。
そして、長老や参議の結論としては「正統竹内文書」の情報は世に出すな!の一点張りだったのですが竹内睦秦さんはこれを無視!
色々なことを話しては怒られまくったそうです。
残念ながら竹内睦秦さんは2020年の1月に53歳という若さで亡くなってしまったのですが、彼が世に公開した正統竹内文書はこれまでの歴史をひっくり返すような内容でした。
さぁ!彼が命をかけて公開した正統竹内文書とはどのようなモノだったのか!?
次回からはその衝撃すぎる内容についてお話していきます!

武内宿禰(たけうちのすくね)についてのまとめ

ということで!今回のお話はいかがだったでしょうか??
ぜひ、皆さんの感想をコメントでお聞かせください!
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